« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月13日 (火)

いろいろな呼びかけを受けるけれども

おはようございますhappy01

この仕事をしていますと「ビジネスの部分」と「公益活動」を
同時並行で行う必要があります。「ビジネス」ばかりを優先

すると周りからいろいろ言われることになりますし、かと

言って「公益活動」ばかり行っていても生活ができなくなり
ますcoldsweats02

司法書士も「個人事業主」なので、誰か他の人が助けてくれる
ということはありません。なので、「ビジネス」と「公益活動」
のバランスが大切になります。「公益活動」の中に「会務」が
入るかわかりませんが、「公益活動」を多く行っている方は
だいたい「会務」も多く行っています。そんな方を「多重会務者」
などと冗談で言ったりします。

また、裁判の傍聴を呼びかけられたりもします。ただ、こちら
には疑問を感じています。人数を集めてプレッシャーをかける
という趣旨らしいですが、結局大規模訴訟のとき原告の多くが
傍聴をしてプレッシャーをかけるということならばともかくとして
司法書士が法廷を埋めることにどこまで意味があるのか、
とても疑問に思ってしまい、当初は参加していましたが、今は
参加をしていません。
もっと、やり方があると思うのですが意見をしても批判と捉え
られることが多いので、この件に関しては意見することも控えて
いるような状態です。

ことの善し悪しは自分で判断して、参加するしないを決めなけ
ればならないでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月12日 (月)

行政の無駄を省くということはどういうことか?

どうもこんにちはhappy01

行政の無駄を省くために「子ども手当」や「生活保護」を
やり玉に挙げる方が多いですが、本当にこれらは無駄
でしょうか?

「子ども」は国の宝です。生活に困っている方を助ける
のは「国家の責務」であり、「国民の権利」でもあります。

「弱者救済」を無駄なことと考える人にとっては、どちらも
無駄ということになるかもしれませんが、大抵の人は
「自分が弱者に絶対になることはない」と言い切れること
はないでしょうから、「弱者救済」というのは一見自分に
は無関係に見えても「自分自身のこと」なのです。

では、どういうことが無駄なのかと言えば、「二重三重行政」
によって、無駄な人員を確保し、その人員のために仕事を
作るという「馬鹿げた」行為です。

日中一度でも市役所や区役所に行ったことがある方は
おわかりかもしれませんが、無駄に人員が配置されて
いて、まったく効率的ではありません。本当に仕事をして
いるのだろうかという方も見受けられます。

「無駄を省く」というのはこのような余剰人員を作らずに
適正な人数に人員を抑えたり、人数の足りない分野に
人員を投入するということを行うことです。また、国と地方
自治体の権限、地方自治体の中でも県と基礎的自治体
の権限、地方自治体と政令指定都市、特別区の権限の
問題などなど「無駄を省く」ことは多くあるはずです。

今年から来年にかけてはこの国の舵も大きく切られる
ことになるでしょう。その際に、「何が大切なのか」という
ことを再度考えなければならないと思います。

「貧困問題」は他人事ではなく、常に自分と背中合わせ
であるということは頭に入れておく必要があるでしょう。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 5日 (月)

平等とは?

みなさま、こんばんはhappy01

いきなりですが「平等」とはなんでしょうか?

司法書士試験を受験されている方ならば、現在は「憲法」も
受験科目ですから、多少なりとも勉強をされていると思います。

「平等」には「形式的平等」と「実質的平等」という意味がある
ということも小中高校生のどこかで学んできているはずです。

「形式的平等」は、「みんな同じ機会を得ることができる」と
いう意味で捉えればよいのではないでしょうか。
「実質的平等」とは「ハンディキャップのある方を優遇してでも
みんなと同じ立場にすること」と捉えればよいのではないで
しょうか。

かつての反省から今までの日本社会は「実質的平等」に重き
を置いてきたはずです。ただ、「厳しい競争社会」において
「実質的平等」の考え方は、逆に邪魔な考え方になってしまう
ので、「実質的平等」は間違えている。と、声高に叫ぶ経済人
学者、政治家が多く現れています。これらが、「新自由主義」
の思想を標榜する人たちの「平等」の考え方です。
「機会」さえ「平等」であれば「優勝劣敗」で優秀な人は成功する
し、そうでなければ成功しない。アメリカンドリームのような
社会こそが「真に優れた社会なのだ」という考え方です。
社会からこぼれ落ちるのも「自己責任」ということで片付けられ
てしまうことになるでしょう。

「現実」を直視してみると、今は本当に「優れた社会」になって
いるでしょうか?「実質的平等」を実現するために重要
な「生活保護制度」や「年金制度」を改悪しようという動きが
非常に大きなうねりとなって押し寄せようとしています。
「生活保護制度」や「年金制度」は生活上の最後のセーフティー
ネットの役割を果たしています。

「自分は優れた人間であり絶対に社会から落ちこぼれることはない」
と胸を張って言える人はそういないはずです。また、万一失敗
したときでも「セーフティーネット」があるからこそ「リスク」をとる
冒険ができるのであり、それがなければ「リスク」をとって「起業」
しようと考える人もいなくなってしまうはずです。
結局、「生活保護制度」「年金制度」の問題も、「受給している人」
だけの問題ではなく、「自分の問題と背中合わせの問題」である
と考えることができれば、極端な意見に流されることなくもう少し
冷静に考えることができるのではないでしょうか。

誰だって「体を壊す」「心を病む」ことはあります。その時になって
「誰も助けてくれない!」と思っても遅いのです。
何らかの影響で「努力をしても報われない人」でも「幸せになれる」
社会こそが「人間らしい社会」なのではないでしょうか。

ぎすぎすし過ぎない「ゆとりのある社会」になって欲しいと思っていますsign01

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 3日 (土)

遺言書と遺留分

みなさま、こんにちはhappy01

今日は、少し真面目なことを書いています。独自の見解ですので、そのあたりはご容赦ください。

ときどき、遺言書作成支援時に「法律専門家が支援していながら、後々相続人間で紛争を起こすような、遺留分をまったく無視した内容の遺言書を作成するのは問題がある。最初から遺留分は最低限確保するような遺言書とするべき」という内容のことを言われる方がいますし、先日とあるML上でも堂々とこのように言われていた同職がいましたが、自分の見解はいささか異なります。

そもそも、「遺留分減殺請求権」とは「請求権」であり、行使するかしないかは「遺留分を侵害された相続人」が遺言者の死後に一定の時間内で判断するものであること。民法1029条には「被相続人が相続開始のときに有していた財産の価額」とあるように、事前にわかっているのは「遺留分の割合」でしかなく、具体的な金額までは遺言書作成時には判断できないこと、「遺言書」とは「死者の最終意思を具体化するもの」であり、「遺言者が自分の死後、自分の財産をどのようにしたいかを決める自由がある」からです。

遺言書作成支援時に「遺留分を侵害する遺言書を残すと起きるであろうリスクの説明」を行い、その際はどうするのかを遺言書内で手当てしたり、また、付言事項内で「なぜこのような遺言書を残したのか」ということを説明しておく、ということを助言することが「法律専門家」の役割なのではないかと考えます。

自分は、そうでなければ、わざわざ「遺言書」を残す意味がないと考えるのです。「遺言書作成支援を行う側の法律専門家」は、そもそもその遺言書の内容が公序良俗に反するような内容でない限り、その方が残そうとされる「遺言」の内容を「尊重」する方向で支援するべきであり、そのことで発生するであろうリスクを告げ、本人にどのような内容の「遺言書を残すのか」の選択をしていただく他に方法はないはずです。

「遺言」を残す、という行為は「身分行為」であり、第三者が介入することはできませんし、また、介入することをしてはならないと考えるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 2日 (金)

全青司開業フォーラム

みなさん、こんにちはhappy01

11月4日日曜日に全青司主催の開業フォーラムが
東京四ッ谷の司法書士会館地下1階日司連ホールで
開催されます。時間は13時からです。
これから、司法書士を目指される方、合格したけど
不安だと考えていらっしゃる方は、現役の司法書士と
お話ができるチャンスです。
お気軽にご参加ください。
よろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »